コラム29 『対話型生成AIと人間の関係を考える』
[酪総研コラム29ー2026年2月掲載]
『対話型生成AIと人間の関係を考える』
2022年11月30日、ある報道に衝撃を受けた。自分が尋ねたいことをスマホに入力すると、即座に言葉が返ってくる対話型生成AIの公開だ。最近では「チャッピー」という愛称で呼ばれているらしい。
今後、AIとの感情的な距離の近さが新たなリスクを生む可能性は否定できない。
筆者も対話型AIを使用している。例えば「頭が痛い」と入力すると『お気持ちお察しします』と返されることがある。これはAIが人間の気持ちを「共感」している訳では無く、大量の人間同士の対話や言語情報から、応答例などを学習し、大量のテキストデータから抽出しているそうだ。これらの学習プロセスにより、AIは感情を実際に体験せずとも、状況に応じた適切な共感表現を選択できるようになる。しかし、失意の中にいる人が利用したら「私に寄り添ってくれた」と救いの気持ちを感じると誤解するのも無理はない。
そもそも私たちはなぜ共感を求めるのだろうか。そして、それが感情を持たないAIの文字だけによる返答であると理解していても、 なぜ心が揺れてしまうのだろうか。
先日、旅行先で訪れた寺院の掲示板にこんな一文が記されていた。「およそ一切の病は煩悩から生ず」と。本当に病気と向き合えば、苦しみの根本的な原因は、まさにあれこれと気を病む煩悩である。そして、病気を経験した人は、病気を知らない人より健康的であるかもしれない、と。結局のところ、私たちが癒やされたいと思うのは、外側にある言葉そのものではなく、内側でざわつく「煩悩」や「弱さ」なのではないかと感じた。
人間はそもそも弱い動物だ。いつも迷い、悩み、苦しむ。
そんなときに「気持ち分かるよ」と返答をされたら、救われたかも…と感じてしまうだろう。AIが返す言葉はただの文字の羅列かもしれないが、その言葉を作ったのも、使うのも人間である。AIが返答してくる言葉は、我々人間が作り出してきた言葉であり、その言葉に支えられたと感じるのもまた、人間である。
AIは心を持たないし、人間が弱さを抱え、誰かの言葉を必要とするという事実は、これからも変わらないと思う。大事なことは、AIを利用して浮かび上がる「自分自身の心」と向き合うことなのかもしれない。
結局のところ、苦しみや希望を背負えるのは、AIではなく、私たち人間だけだ。そしてどれほどAIが発達しても、「人のぬくもり」は私たち人間にしか生み出せない。
人は人と関わることで、弱さを抱え、傷つき、相手に失望することもあるだろう。AIと話せればそれで十分・・・という考えも分からなくはない。それでも私たちは、人とつながり続けることは避けて通れない。
私たちはきっと弱いままでいいし、その弱さを抱えたまま、それでも人と関わりながら生きていく。そのことを忘れず、人とつながり続けることが、人間の本当の強さなのかもしれない。
(筆者:大山冬馬)