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コラム31 『ゲームチェンジャー』

  [酪総研コラム31 ー2026年4月掲載]                 『ゲームチェンジャー 』 最近、牧草地(以下、圃場)を歩いていて、ふと思うことがある。我々は普段、牧草の植生調査などで広大な圃場を歩いているのだが「これ、一応見ているつもりだけど、本当に植生や圃場全体をしっかり見れているのか・・・」と不安になることもある。それぞれの牧草の割合や草丈、密度等々。ベテラン社員のように経験を積めば、ある程度の状態は分かるようにはなる。それでも、「ここが違った!」という感じる場面は少なくはない。 近年、ドローンの発達が目覚しい。酪農分野においても圃場データ管理や可変施肥、中には有害鳥獣を寄せ付けないために使用することもあるそうだ。ドローンで撮影したデータは、人間の目で見た時には分からなかったことがはっきりと見えることがある。一見、生育がそろっていたと思われる圃場に、はっきりしたムラがある。線のように続く生育差や、部分的な遅れ。地上では断片的だった情報が、全体の構造として見えてくる。 圃場のデータ管理については、「現場で見て、判断して、データ集計をする」という流れがこれまでのベーシックな手法である。これは言い換えれば、現場の経験値と年数がデータの精密度にも強く結びついているということでもある。 しかし、ドローンによって可視化が進むと、この流れが少しずつ変わることがある。圃場を歩いていたときには気づかなかった差が、すっと見えてくる感覚がある。もちろん、だからといってドローンが特別すごい技術だ!という話ではない。ただ、「見え方が変わる」というのは、思っている以上に大きい変化である。これまでは、自分の経験や感覚で判断していたものが、画像として第三者に正確かつ客観的に共有できるようになる。 すると、「なんとなくこう思う」ではなく、「ここがこうなっている」という話ができるようになる。この違いは、地味だが徐々に効いてくる。例えば、作業を誰かに任せるとき。これまでは説明が難しかったことも、画像があれば伝えやすい。そうなると、「全部自分で見ないといけない」という状況から、少しずつ抜け出せる可能性が出てくる。 人手不足が課題だと言われて久しい酪農業界だが、「誰でも圃場管理を任せられる形にする(=仕組み作り)」ことも同じくらい重要なのかもしれない。ドローン...

コラム30 『酪総研50年 ~児玉由一先生~』

  [酪総研コラム30 ー2026年3月掲載]                 『酪総研50年 ~児玉由一先生~ 』 この度、コラムを担当させていただきます、昨年 12 月 1 日付で酪農総合研究所酪農研究グループに着任致しました本間義行と申します。以後、よろしくお願い致します。 今年、 2026 年 3 月で酪総研が 50 周年を迎えることは、前回・前々回の酪総研 NEWS   LATTER で皆様ご存じのことと思われます。小職は 2 月で 50 歳を迎え、酪総研と同じ 1976 年生まれということもあり、このタイミングの異動はたまたまなのでしょうが、何か不思議な縁を感じております。 このコラムを書いている時は、酪総研シンポジウムの準備期間中なのですが、準備している展示パネルのなかに、酪農総合研究所年表というものがあり、 1976 年の設立時に「昭和 51 年 3 月 15 日 株式会社酪農総合研究所設立 社長 児玉由一、所長 大原久友」と書かれているのに気が付きました。 酪総研は設立当初、中立性を堅持するため、株式会社としてスタートしていますが、初代社長の児玉由一先生は元中標津農業協同組合の代表理事組合長であり、当社の社長、会長も歴任、北海道の酪農発展に貢献され、中標津町の名誉町民となられている方です。 私が児玉由一先生の名前を知ったのは、今から 5 年前、雪印種苗㈱と合同で毎年開催されている酪農研究会の場で、雪印種苗さんが創立 70 周年ということもあり、両社の歴史を振り返り発表するというもので、当時酪農部道東駐在(なかしべつ駐在)におり、調査の段階で 1975 年に全道に先立ってホクレンが根室管内で集送乳合理化を進めた際に児玉先生父子が当時のホクレン中標津支所長に協力をしたという過去を知り、そのお名前を初めて知りました。また中標津町の公共施設を訪れた際に名誉町民として顕彰されていることを知り、強く印象に残っておりました。 児玉先生は 1900 年に岡山県に生まれ、 1916 年に渡道、 1919 年に中標津町武佐地区(旧標津村)に転住されました。以来、地域開発促進と酪農発展に寄与、 1948 年から 60 年まで中標津農業協同組合代表理事組合長、北海道酪農協会根室支部長、根室生産連会長を歴任、 1947 年から 59 年まで北海道...

コラム29 『対話型生成AIと人間の関係を考える』

  [酪総研コラム29 ー2026年2月掲載]                 『対話型生成AIと人間の関係を考える 』 2022 年 11 月 30 日、ある報道に衝撃を受けた。自分が尋ねたいことをスマホに入力すると、即座に言葉が返ってくる対話型生成 AI の公開だ。最近では「チャッピー」という愛称で呼ばれているらしい。   あれから丸3年が経過した。日々の生活のなかで AI に関する様々なニュースや事件が目に入るようになった。アメリカでは、対話型 AI と自殺願望を抱える若者の自殺との関係性をめぐり、議論を呼ぶ非常にショッキングなニュースが報じられている。遺族は、当該若者が AI に精神的に依存していた可能性があり、それが結果として自殺に影響を及ぼしたのではないかと主張しているが、両者の因果関係については現時点で断定されていない。 今後、 AI との感情的な距離の近さが新たなリスクを生む可能性は否定できない。 筆者も対話型 AI を使用している。例えば「頭が痛い」と入力すると『お気持ちお察しします』と返されることがある。これは AI が人間の気持ちを「共感」している訳では無く、大量の人間同士の対話や言語情報から、応答例などを学習し、大量のテキストデータから抽出しているそうだ。これらの学習プロセスにより、 AI は感情を実際に体験せずとも、状況に応じた適切な共感表現を選択できるようになる。しかし、失意の中にいる人が利用したら「私に寄り添ってくれた」と救いの気持ちを感じると誤解するのも無理はない。 そもそも私たちはなぜ共感を求めるのだろうか。そして、それが感情を持たない AI の文字だけによる返答であると理解していても、   なぜ心が揺れてしまうのだろうか。 先日、旅行先で訪れた寺院の掲示板にこんな一文が記されていた。「およそ一切の病は煩悩から生ず」と。本当に病気と向き合えば、苦しみの根本的な原因は、まさにあれこれと気を病む煩悩である。そして、病気を経験した人は、病気を知らない人より健康的であるかもしれない、と。結局のところ、私たちが癒やされたいと思うのは、外側にある言葉そのものではなく、内側でざわつく「煩悩」や「弱さ」なのではないかと感じた。 人間はそもそも弱い動物だ。いつも迷い、悩み、苦しむ。 そんなときに...

コラム28 『酪総研の50年を振り返る』

  [酪総研コラム28 ー2026年1月掲載]                 『 酪総研の50年を振り返る 』 酪農乳業関係者の皆様、あけましておめでとうございます。 日頃より酪農総合研究所(以下、酪総研)の業務に特段のご理解、ご支援を賜り厚く御礼申し上げます。 2026 年の年頭にあたりまして、酪総研の 50 年を振り返り、一言ご挨拶申し上げます。   酪総研は、 1976 年 3 月に雪印乳業株式会社の創業 50 周年を記念し、我が国酪農の発展に寄与するために設立されました。当初は、中立性を堅持した調査研究のため株式会社として設立され、その後、雪印乳業株式会社の組織再編に伴い、社内研究所として再スタートしております。このような変遷を経ながらも、この度、創立 50 周年を迎えることができました。改めまして、酪農乳業関係者の皆様のご支援、ご協力の賜物と厚く御礼申し上げます。   歴代の所長をご紹介しますと、初代所長は元帯広畜産大学学長・大原久友先生、二代目所長は元北海道大学名誉教授・崎浦誠治先生、三代目所長は元北海道大学名誉教授・天間征先生、四代目所長は元帯広畜産大学学長・久保嘉治先生、五代目所長は元岩手県立大学教授・土井時久先生でした。このように、五代目所長までは農業分野の学術研究でご活躍され、また多くのご功績を残された先生方を、外部から招聘していました。そのため、酪総研の業務は大学での学術研究をベースとした調査研究を展開し、また酪農乳業界に対しても積極的に提言・助言するなどジャーナリスティックな側面も備えていました。   その後、社内研究所となった酪総研は組織がスリム化され、所長も社内から任命するようになりました。これを契機に酪総研の業務も大きく見直さなければなりませんでした。酪農情勢や世界経済の動向を鑑み、またグループ会社である雪印種苗株式会社との連携強化を進めるなかで、酪総研は酪農現場に特化した調査研究へとシフトしていったのです。   こうして酪総研 50 年の歴史を顧みると、株式会社時代の学術的な調査研究が中心の時代と、酪農現場に特化した実証的な調査研究に取り組むようになった社内研究所時代の大きく二つに分類できます。また、株式会社時代の酪総研標語「酪農の未来を拓くお手...

コラム27 『“もっと出す”の先に見えるもの』

  [酪総研コラム27 ー2025年12月掲載]                 『 “ もっと出す ” の先に見えるもの 』 人は、乳牛に「もっと出す」ことを求め続けてきた。 その結果、牛は驚くほどの進化を遂げた。 かつて、乳牛の1日あたりの乳量は 10 リットルもあれば立派なものだった。それが今や、1泌乳期に1万リットルを超える牛が珍しくない。わずか数十年の間に乳量は3倍。ゲノム選抜、人工授精、受精卵移植、分子マーカー解析 ―― 人間は技術の力で、牛を「もっと出す存在」へと作り変えてきた。 人間は “ もっと出す ” ことを正義と信じてきた。けれど、そこに牛の意思はあるのだろうか。乳量を上げれば繁殖成績が下がり、脚や代謝のトラブルが増える。まるで、常に限界まで走り続けるレーシングマシンのようだ。速度を上げれば負荷が増し、無理をすれば容易に壊れる。それでも人間は言う。「あと少し、まだいけるはずだ」と。数字とグラフの向こうで、牛たちは静かにため息をついているのかもしれない。 そして忘れてはならないのが「淘汰」の側面だ。能力が高い個体だけを選び、低能力の牛は市場から排除されてきた。これは単なる「選抜」ではなく、経済原理による冷徹な取捨選択でもある。 飼養コストに見合わない個体は繁殖目的から外れ、早期に淘汰される。牛たちにとっては、能力がなければ “ 居場所 ” を失う厳しい現実だ。人間の「効率化」は同時に、低能力牛の運命を決める力でもあったのだ。 人間の社会では「多様性」が時代のキーワードになった。性別も国籍も個性も尊重しようという動きが広がっている。しかし、経済動物である乳牛の世界に “ 多様性 ” はあるのだろうか。 乳量が多い個体、効率のよい個体、扱いやすい個体 ―― そうした “ 標準 ” だけが生き残り、少しでも外れた性質を持つ牛は淘汰の対象となる。本来、生き物の世界にはさまざまな個体差や個性があって当然なのに、私たちはそれを「ばらつき」と呼び、排除してきた。 人間の価値観では多様性を尊びながら、自らが管理する動物には “ 均一性 ” を強いる ―― 。そして、その “ 矛盾 ” を覆い隠すかのように登場したのが、アニマルウェルフェアという言葉である。 私たちは「アニマルウェルフェア」という言葉を掲げ、動物の福祉に配...

コラム26 『投資する者、される者』

  [酪総研コラム26 ー2025年10月掲載]                 『投資する者、される者 』   2024 年 1 月、少額投資非課税制度いわゆる NISA が拡充された。これは岸田政権のもと、新しい資本主義実現会議 (2022 年 11 月 28 日開催 ) にて決定された「資産所得倍増プラン」に関する施策の一環で、その目標は①5年間で NISA 口座数および買付額の倍増、②その後、家計による投資額の倍増を目指す、となっている。この資産所得倍増プランは、「我が国の家計金融資産の半分以上を占める現預金を投資に繋げることで、持続的な企業価値向上の恩恵が、資産所得の拡大という形で家計にも及ぶ『成長と資産所得の好循環』を実現させる」ことを目的としており、国を挙げて国民を“貯蓄から投資へ”導く姿勢が窺える。 また国民においても、失われた 30 年と言われる日本経済の下でも増え続ける社会保険料や税金に対し、貯蓄や公的年金だけでは生活防衛資金や老後資金への不安が払拭できないとのマインドが形成されつつあり、その状況下で NISA 拡充は大いに関心を集めた。 その結果、 2024 年 12 月末時点の NISA 口座数は 1,803 万口座とわずか 1 年間で 375 万口座が新規開設される人気ぶりだ ( 1 ) 。その口座数を世代別に見ると最も多いのが 40 歳代 373 万口座( 20.7 %)、その後に 30 歳代 370 万口座( 20.5 %)、 50 歳代 325 万口座( 18.0 %)、 20 歳代 246 万口座( 13.6 %)と続く。また、同時期の NISA 口座買付金額(“成長投資枠”と“つみたて投資枠”の合計額)を世代別にみると、最多は 40 歳代( 22.1 %)、次に 50 歳代( 20.6 %)、 30 歳代( 19.5 %)の順となるが、長期積立投資を目的とする“つみたて投資枠”の買付割合を世代別に計算すると、最も高いのが 20 歳代の 45.9 %(続いて 30 歳代 39.2 %、 40 歳代 32.8 %)となり、これは注目に値する。なぜなら、このデータは若い世代ほど NISA というツールをうまく活用し、着々と将来に向け資産形成する様子を表しているからだ。 資産運用と聞くとバブル崩壊やリーマンショッ...

コラム25 『NO TENKIN, NO LIFE.』

  [酪総研コラム25 ー2025年9月掲載]             『 NO TENKIN,NO LIFE. 』 転勤を敬遠する傾向が強くなっているそうだ。 20~30代の若い世代は7割以上が転勤を嫌がっているという。就活学生の3割以上が転勤の多い企業には行きたくないという調査結果も目にした。ライフスタイルが変化し、勤務地が頻繁に変わる事に抵抗を感じている人が多くなっているらしい。 我々昭和生まれの会社員は異動の辞令が出たら転勤するのが当たり前、転勤族という言葉があるように日本各地で仕事をしてきた。 時代が変わってワークライフバランスが注目され、個人の価値観が尊重されるようになってきた。また、リモートワークや在宅勤務が増加し、出社しなくても仕事が出来る環境が整ってきている。 雇用体系が変化する中で、企業の従業員エンゲージメント向上への取組みが重要視されている。転勤をきっかけに離職する社員が増えていることから、これに歯止めをかけるために転勤制度を見直す企業も出始めていると聞く。 転勤は時代遅れになっていくのだろうか。私自身、北海道、東日本、西日本と 10 回以上の転勤、単身赴任も 2 回経験してきた。それぞれの地域特性があり、知識や経験を積み重ねる事が出来た。関係先の仕事相手との人間関係を築き、様々な経験が人生の肥やしになってきたと思う。 また、私事では各地の名所旧跡に足を運び眼福を得、酒場を探訪しほろ酔い、ご当地の味覚も楽しんできた。その土地の風土や文化に触れる事が出来たのも転勤のお陰様だ。もし転勤の無い仕事に就いていたら、こんな経験は出来なかったし人生がまるで違っていた。 今の時代、メディアやインターネットで何処に居ても様々な情報を手に入れる事ができる。しかし、実際にその土地に住み体験する事には敵わない。転勤は必ずしもネガティブなものではなく人生において価値のある経験が出来る機会になる。私は転勤が無かったら人生の半分以上を損したのではないか、日本全国で仕事が出来て楽しい会社員人生だったと定年退職間近の昭和生まれは顧みているのである。 さて、これから人生二周目は何をしようかな・・・。